歌川広重「六十余州名所図会」完全解説:全70図の魅力と鑑賞ガイド、そして広重の挑戦

六十余州名所図会 お花以外の名所

歌川広重の「六十余州名所図会」は、江戸時代末期の日本全国の名所を描いた浮世絵の連作です。このシリーズは、広重が「東海道五十三次」などの風景画で確立した名声をさらに高め、その芸術的到達点を示すものとして高く評価されています。しかし、「六十余州名所図会」は単なる名所絵の集大成ではありません。そこには、広重の新たな挑戦、そして時代の変化を捉えようとする鋭い眼差しが込められています。本記事では、「六十余州名所図会」の全貌を、歴史的背景、各図版の詳細な解説、鑑賞のポイント、そして現代における意義まで、余すところなくご紹介します。広重が描いた日本の原風景を通して、江戸時代の文化と人々の暮らしを深く理解する旅に出かけましょう。

「六十余州名所図会」制作の背景と広重の狙い – 変わりゆく時代の中で

「六十余州名所図会」が制作されたのは、1853年(嘉永6年)から1856年(安政3年)にかけてのこと。この時期、日本は黒船来航という未曾有の出来事に直面し、社会全体が大きく揺れ動いていました。広重は、このような激動の時代の中で、失われつつある日本の美しい風景と人々の暮らしを記録に残したいと考えたのではないでしょうか。

制作の経緯と時代背景

  • 黒船来航 (1853年): ペリー率いるアメリカ艦隊が浦賀に来航し、日本に開国を迫りました。この出来事は、200年以上続いた鎖国体制に終止符を打つ契機となり、日本社会に大きな衝撃を与えました。
  • 社会不安の増大: 開国をめぐる国内の対立、物価の上昇、そして相次ぐ自然災害などにより、社会不安が増大していました。
  • 名所絵の流行: 江戸時代後期には、庶民の間で旅行ブームが起こり、名所絵は人気のジャンルとなっていました。広重は「東海道五十三次」などの作品で、名所絵の第一人者としての地位を確立していました。

広重の挑戦 – 新たな表現様式

「六十余州名所図会」は、広重がそれまでの作品で培ってきた技法をさらに発展させ、新たな表現に挑戦した意欲作です。

  • 縦長の画面: 従来の浮世絵では横長の画面が一般的でしたが、「六十余州名所図会」では縦長の画面を採用しています。これにより、高さや奥行きを強調した、ダイナミックな構図が可能になりました。
  • 大胆な構図とトリミング: 前景を大きく描き、遠景を小さく描くことで遠近感を強調したり、画面の一部を大胆に切り取ることで、見る者の視線を誘導したりするなどの工夫が凝らされています。
  • 色彩の表現: 広重は、空や水、草木などの自然を、鮮やかな色彩で表現しています。特に、青色の使い方は「ヒロシゲブルー」と呼ばれ、広重の作品の特徴となっています。
  • 版元の工夫: 版元である越村屋平助は、この作品を「狂歌入」として売り出しました。狂歌は、社会風刺や滑稽な内容を詠んだ短歌の一種で、当時は庶民の間で人気がありました。名所絵に狂歌を添えることで、作品の娯楽性を高め、より多くの人々に広めようとしたと考えられます。

広重は、「六十余州名所図会」を通して、単なる風景描写にとどまらず、そこに生きる人々の暮らしや文化、そして時代の空気までも描き出そうとしたのです。

「六十余州名所図会」全70図を徹底解説 – 各地の名所と広重の視点

「六十余州名所図会」は、当時の日本の行政区分である五畿七道六十八ヶ国と江戸の名所、計69ヶ所(70図)を描いています。ここでは、各図版の見どころを、地域ごとに詳しく解説します。広重の視点を通して、各地の風景、文化、そして人々の暮らしを追体験しましょう。

五畿内 – 都と周辺の風景

五畿内は、山城国(京都)、大和国(奈良)、河内国(大阪)、和泉国(大阪)、摂津国(大阪・兵庫)の5ヶ国からなります。

国名名所見どころ
山城あらし山 渡月橋シリーズの第1番目を飾る作品。桜の名所である嵐山と渡月橋、そしてその奥に続く法輪寺への参道が描かれています。春爛漫の華やかな雰囲気が伝わってきます。
大和立田山 龍田川百人一首にも詠まれた紅葉の名所。川面を覆う紅葉と、背景の山々のコントラストが見事です。広重は、紅葉の色を微妙に変えることで、奥行きを表現しています。
摂津住よし 出見のはま住吉大社の近く、住吉浜での潮干狩りの様子を描いた作品。遠浅の海で、人々が楽しそうに貝を採る姿が描かれています。広重は、人々の動きを巧みに捉え、生活感あふれる風景を描き出しています。
河内滝畑 くらかけの滝大阪府河内長野市の滝畑ダム付近を描いています。光滝寺の参道であった「滝畑の道」が描かれ、その道すがらにあった「夫婦滝」が画面中央に捉えられています。
和泉岸和田古城大阪府岸和田市にあった岸和田城を描いています。蛸に乗った法師が城を守ったという伝説があるため「蛸地蔵縁起」とも呼ばれます。手前の海には船が浮かび、城下町の活気が伝わってくるような作品です。

東海道 – 江戸と京都を結ぶ大動脈

東海道は、江戸と京都を結ぶ最も重要な街道であり、多くの旅人が行き交いました。

国名名所見どころ
伊賀上野伊賀上野城と城下町の風景。深い緑に囲まれた穏やかな風景の中に、城へと続く道を行き交う人々が小さく描かれています。広重は、静けさの中に、人々の暮らしの息吹を感じさせるような表現をしています。
伊勢二見か浦夫婦岩で知られる二見ヶ浦。広重は、夫婦岩の間から昇る朝日を描き、神秘的な雰囲気を演出しています。
遠江浜名湖浜名湖の雄大な風景。広重は、湖面に浮かぶ島々や、遠くに見える山々を、巧みな構図で描き出しています。
駿河三保のまつ原三保の松原と富士山。広重は、松林の間から富士山を望む構図で、雄大な自然の美しさを表現しています。
甲斐さるはし日本三大奇橋の一つ、猿橋。紅葉に彩られた橋を見上げるような構図で、橋の構造と周囲の自然が対照的に描かれています。
相模江のしま江の島と、そこへ渡る参道。多くの人々で賑わう様子が描かれています。
武蔵品川品川宿の賑わい。海沿いの道を、多くの人々が行き交う様子が描かれています。
武蔵隅田川 雪の朝雪の降る朝の隅田川。白、青、赤の3色だけで、隅田川の美しさを表現しています。広重の色彩感覚の冴えが感じられる作品です。
下総銚子の浜 外浦銚子の海岸での磯遊びの様子。外川の浜、千騎ヶ岩、屏風ヶ浦など、銚子の名所が一枚の絵に凝縮されています。

東山道・北陸道 – 山々と日本海

東山道は、内陸部を通り、北陸道は日本海沿岸を通る道です。

国名名所見どころ
近江びはこ 石山寺石山寺からの琵琶湖の眺望。広重は、湖面に浮かぶ月と、寺の建物を、幻想的な雰囲気で描き出しています。
美濃養老の滝養老の滝と、滝壺で水を汲む親子の姿。広重は、滝の勢いと、親子の愛情を、対比的に描いています。
信濃姨捨山 更科田毎の月姨捨山と、棚田に映る月。広重は、月の光と、棚田の風景を、幻想的に描いています。
出羽最上川 月山遠望最上川の河口から月山を望む風景。鳥瞰図のような視点で描かれており、舟運が盛んだった当時の様子がわかります。
越中富山船橋神通川に架かる船橋。当時の神通川は現在の松川であり、富山城の北側を流れていました。橋の上を歩く人々や、川沿いの風景が細かく描写されています。
加賀小松 なた寺の古跡那谷寺の奇岩と、紅葉の風景。広重は、自然の造形美と、紅葉の美しさを、見事に表現しています。

山陽道・山陰道・南海道・西海道 – 西日本の風景

山陽道は瀬戸内海沿岸、山陰道は日本海沿岸、南海道は四国、西海道は九州を通る道です。

国名名所見どころ
播磨舞子の浜舞子の浜と、淡路島を望む風景。広重は、白砂青松の美しい海岸線を、爽やかに描き出しています。
周防岩国錦帯橋日本三名橋の一つ、錦帯橋。橋の美しいアーチと、背景の山々、そして川を行き交う船が、見事な構図で描かれています。
長門下関関門海峡と、行き交う船。広重は、海峡の狭さと、船の多さを強調することで、下関が交通の要衝であったことを表現しています。
出雲美保の関美保関と、日本海を望む風景。広重は、荒々しい波と、岩場に立つ灯台を、力強く描き出しています。
阿波鳴門の風波鳴門海峡の渦潮。広重は、渦巻く波と、激しい水しぶきを、迫力満点に描いています。
讃岐金比羅山 象頭山金刀比羅宮と、象頭山。広重は、参道の石段と、山頂からの眺望を、壮大なスケールで描き出しています。
筑前箱崎箱崎八幡宮と、博多湾を望む風景。広重は、神社の厳かな雰囲気と、海の広がりを、対照的に描いています。
肥後阿蘇山阿蘇山の噴煙と、カルデラの風景。広重は、大自然の力強さと、人間の営みを、対比的に描いています。

(注:上記は全70図の一部です。全ての図版について、同様の詳細な解説が可能です。)

「六十余州名所図会」鑑賞のポイント – 広重の世界をより深く楽しむために

「六十余州名所図会」は、ただ美しい風景画としてだけでなく、様々な視点から楽しむことができます。ここでは、鑑賞のポイントをいくつかご紹介します。

構図の妙を楽しむ

広重は、縦長の画面を最大限に活かし、斬新な構図を生み出しています。

  • 遠近法の活用: 前景を大きく、遠景を小さく描くことで、奥行きを強調しています。
  • 大胆なトリミング: 画面の一部を大胆に切り取ることで、見る者の視線を誘導し、想像力をかき立てます。
  • 視点の変化: 鳥瞰図のような高い視点から描いたり、見上げるような低い視点から描いたりすることで、多様な視点から風景を捉えています。

色彩の美しさを味わう

広重は、鮮やかな色彩で、自然の美しさを表現しています。

  • ヒロシゲブルー: 広重が多用した青色は、「ヒロシゲブルー」と呼ばれ、彼の作品の特徴となっています。空や水、遠くの山々など、様々なものを青色で表現することで、画面に統一感と奥行きを与えています。
  • 季節の表現: 桜のピンク、紅葉の赤や黄色、雪の白など、季節ごとの色彩を使い分けることで、風景の表情を豊かに表現しています。

人々の暮らしを想像する

広重は、風景だけでなく、そこに生きる人々の姿も描き込んでいます。

  • 旅人: 街道を行き交う旅人、渡し船に乗る人々など、当時の旅の様子を垣間見ることができます。
  • 農民: 田植えや稲刈りをする農民、漁をする漁師など、人々の暮らしぶりが描かれています。
  • 町人: 商店の店先で働く人々、祭りを楽しむ人々など、町のにぎわいが伝わってきます。

歴史的背景を学ぶ

「六十余州名所図会」は、江戸時代末期の日本の風景や文化を伝える貴重な資料でもあります。

  • 名所の変遷: 現在の風景と見比べることで、名所の変遷を知ることができます。
  • 交通の発達: 街道や渡し船など、当時の交通手段を知ることができます。
  • 人々の信仰: 寺社仏閣への参詣の様子から、人々の信仰心を知ることができます。

「六十余州名所図会」に関するQ&A – さらなる疑問にお答えします

Q1: 「六十余州名所図会」と「東海道五十三次」の違いは何ですか?

A1: 「東海道五十三次」は、東海道の宿場町を題材にした連作ですが、「六十余州名所図会」は、日本全国の名所を題材にしています。また、「六十余州名所図会」は、縦長の画面、大胆な構図、狂歌の採用など、表現様式にも違いがあります。

Q2: 「六十余州名所図会」の狂歌には、どのような内容が詠まれているのですか?

A2: 狂歌は、その土地の名所や風物にちなんだもの、名産品を詠んだもの、旅の情景を詠んだものなど、多岐にわたります。例えば、「大和 立田山 龍田川」には、「もみぢ葉の 流れもやらぬ 龍田川 いつか紅の 淵となるらん」という狂歌が添えられています。

Q3: 「六十余州名所図会」の中で、広重自身が特に気に入っていた作品はありますか?

A3: 広重自身がどの作品を特に気に入っていたかを示す明確な資料は残っていません。しかし、「武蔵 隅田川 雪の朝」は、広重の色彩感覚が冴えわたる傑作であり、広重自身も自信を持っていたのではないかと推測されます。

Q4:なぜ広重は、あえて、現在から見ると「なぜここが名所?」と疑問に思うような場所を選んでいるのですか?

A4:広重の時代と現代とでは、「名所」に対する価値観が異なるためです。江戸時代には、和歌に詠まれた場所(歌枕)や、歴史的な出来事があった場所、景観が美しい場所などが名所とされていました。また、広重は、単に有名な場所だけでなく、自身の目で見て感動した場所や、人々の暮らしが感じられる場所を、積極的に描いたと考えられます。

Q5:「六十余州名所図会」は、海外でも評価されていますか?

A5:はい、「六十余州名所図会」は、海外でも高く評価されています。特に、ゴッホやモネなどの印象派の画家たちに大きな影響を与えたことが知られています。彼らは、広重の大胆な構図や色彩感覚に感銘を受け、自身の作品に取り入れました。

まとめ – 「六十余州名所図会」広重が遺した日本の美

歌川広重の「六十余州名所図会」は、江戸時代末期の日本全国の名所を描いた、浮世絵の傑作です。広重は、縦長の画面、大胆な構図、鮮やかな色彩など、独自の表現様式を確立し、日本の美しい風景と人々の暮らしを、生き生きと描き出しました。

「六十余州名所図会」は、単なる風景画としてだけでなく、歴史的資料、そして芸術作品として、様々な視点から楽しむことができます。美術館やオンラインで「六十余州名所図会」を鑑賞し、広重が描いた日本の原風景に触れることで、江戸時代の文化と人々の暮らしを深く理解することができるでしょう。そして、この作品群が、現代の私たちに、日本の美しさを再発見させてくれる貴重な遺産であることを、改めて認識することができるはずです。

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